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May 26, 2015

なるほど。

以下 コピペ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20150416/280063/?P=5

日本人的美徳に基づけば、この寄付という名目であれば、寄与度は低いが結果的にゴミのポイ捨ては減らせられる。結果ハッピーという事か。使途不明や説明なき使途変更などする団体は糾弾すべきであるが。



なぜボトルキャップでなければならないのか

2015年4月17日(金)
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 その昔、缶飲料のプルタブを集めて車椅子を寄付する社会運動があった。
 私自身、関わったことはないが、この運動に関係する話はいくつか聞いている。
 一番最初に言い出したのがどこの誰であるのかは、実は、いまもってよくわかっていない。
 わかっているのは、プルタブが車椅子になるという噂話が、全国の色々な場所で同時多発的に囁かれ、様々なルートでブツの収集が行われた事実があったということだ。
 実際に何トンのプルタブが集められて、何台の車椅子がどこの施設に寄贈されたのかということになると、はっきりしたデータは見つからない。
 はじめから都市伝説だったという説すらある。
 つまり、「ウソ」だったということだ。
 まあ、100パーセントのインチキだったと言い切るのは乱暴だろう。
 実際に集められたプルタブの善意に呼応して、何台かの車椅子を提供した善意の業者がいたのかもしれないし、仮に、結果として車椅子に交換されることがなかったのだとしても、路上の厄介者であったプルタブが、町の人々の努力で一箇所に集積されたことには一定の意味があったはずだからだ。
 プルタブが「路上の厄介者」だったことついては、説明が必要だろう。
 現在、缶飲料のフタを開けるための機構は、「ステイオンタブ」と呼ばれるフタを開けても開閉用のリングが缶本体から分離しないタイプのものが主流になっている。それゆえ、路上や公共スペースに缶飲料のプルタブが放置される事態は、ほぼ解消されている。
 昭和の時代は、事情が違っていた。
 当時、缶飲料のフタはプルタブを着脱する方式で、その、リングと開口部(飲み口として、缶の上部から繰り抜かれた金属片)が、缶本体とは別途のゴミとして捨てられていた時代、プルタブは、道路脇に転がっている小さなゴミの代表選手だったのである。
 ついでに言えば、プルタブにくっついてくる水滴型の金属部分は、その鋭い切り口で思わぬ負傷を誘発する路上のトラップだった。波打ち際の砂に隠れているプルタブの金属片で足の指を切る事故は日常的に起きていたし、あの湾曲した涙のカタチをしたナイフは、北アルプスの登山道のような場所にも普通に落ちていた。
 であるから、「プルタブを車椅子に」という運動は、もしかして、車椅子を寄付すること以上に、困ったゴミであるプルタブを集めるところに力点が置かれていたものであったかもしれないわけで、そういうふうに考えてみるとエコキャップ推進運動と同じく、基本的には善意から出発したキャンペーンであった可能性は高い。
 不思議なのは、われわれが、どうして凝りもせずにその種の「無益な善意の運動」に献身したがるのかだ。
 おそらくここに私たちの民族の秘密が隠されている。
 プルタブ収集運動の一世代前には「ベルマーク運動」というのがあった。

 若い人たちはたぶん知らないだろう。「ベルマーク」と聞いてピンと来ない人は、ウィキペディア を見てほしい。ここの項目に書いてあることがすべてではないが、まあ、概要はわかるはずだ。
 私が小学生だった当時、ベルマーク運動はそのピークを迎えていた。
 通っていた小学校でもたしかベルマーク委員という役職があって、何カ月かに1度のタイミングで朝礼の時に、クラス毎に集めたベルマークの点数を報告するみたいなことが行われていた記憶がある。
 もっとも、後で聞いた話から推量すると、私の学校はさして熱心に取り組んでいた組ではなかった。
 学校によっては、全校生徒が一丸となってベルマーク収集に血道をあげていた例が珍しくない。
「うちじゃ先生が棒グラフにしてたぞ」
「オレのところもすごかった。マヨネーズの外袋を捨てると火のように怒られたな」
 私は、4枚で1円だとかいうマークを、商品の外装フィルムからハサミで切り取る作業をテンからバカにしていた。たぶん、母親がバカにしていた(「ケチくさいマーク」と彼女は言っていた)からだと思う。
 実際、ベルマークは、それを集めるために費やした労力に比べて、集めた結果として得られる便益(集めたベルマークは、点数に応じて、楽器や文房具のような物品や教育関連施設に変換された)が極めて貧弱な、ザルで水を汲むみたいな社会運動だった。
 われわれは、「善意」について考える時、それがどんなふうに役立ち、どんな人々に対してどのようなベネフィットをもたらすのかについてあまり深く考えない。わたくしども日本の社会で暮らす人間たちは、どちらかというと、善意を提供する側の人間の「思い」が、どのようにして糾合され、善意のために集まった人々が、どんなふうにより良い社会人としての経験を経て、成長して行くのかを重視している。
「ベルマーク集めは確かに効率の良くない作業だけど、あの運動を通じて培われる一体感と教育効果は、決して無駄にはならない」
「ほら、一隅を照らすっていうじゃないですか」
「そうそう。貧者の一灯っていう言葉もありますしね」
「PTAのお母さんたちが、個々の家庭の事情や貧富の格差を超えて、あのとてつもなくチマチマとした面倒くさい作業のために協働することが、PTAという組織の強化にどれだけ貢献したのかという、そこのところを考えなければいけません」
「そうですとも、奉仕は、おカネやモノじゃなくて、何より一人ひとりの人間のかけがえのない勤労を捧げるのが本筋ですよ」
 ちなみに言えば、私はベルマークに付随する勤労奉仕が大嫌いだった。
 私の母親もPTAがらみの「動員」を憎んでいた。
 まあ、非国民だったということかもしれない。
 ベルマークの背景には、千羽鶴がある。
 千羽鶴は、それを折る人々の「思い」を届けるためのツールだ。
 また、一心に千羽鶴を折る行為を通じて、人々を一致団結させるための素材でもある。

 が、贈られた側から虚心に評価すれば、千羽鶴は、扱いに困る荷物だ。
 紙屑とまでは言わないまでも、少なくとも具体的に何かの役に立つ物品ではない。
 まあ、「思い」なり「祈り」なり「団結の証」なりをありがたく受け止める人がいないわけではないのだとは思う。
 でも、あえて個人的な見解を述べさせてもらうなら、千羽鶴は、捨てるに捨てられない困ったブツに過ぎない。
 さて、千羽鶴まで来た以上、当然、千人針にご登場願わなければならない。
 知らない人はググってください。
 この物件について、いまさら私が多くを語る必要はないだろう。
 あれは、実に圧倒的に気味の悪いものだ。
 銃後の女性たちが一針ずつ心をこめて縫った針の跡を、戦地に赴く兵隊さんに捧げたというその物語の構造に、私はひとっかけらの共感すら抱くことができない。
 あまりにもくだらない。
 エコキャップ運動からさかのぼって千人針に行き着いた今回の原稿の成り立ちを、牽強付会と評価する読者は、当然、現れるはずだ。
 私自身、半分ぐらいはこじつけだと思っている。
 でも、残りの半分で、私は、われわれの暮らしているこの国が千人針みたいな湿っぽい圧力を基礎とした呪力で出来上がっている社会なのだと感じてもいる。
 われわれは「いい話」にヨワい。
 「江戸しぐさ」や「EM菌」や「親学」や「サムシンググレート」みたいなインチキ話にひっかかる人々(←現職の文部科学大臣や首相も含まれている)に共通しているのは、「善意」から出発した話であるのなら、多少細部が怪しくても、論理的に不整合があっても、「いい話」としてまるごと肯定してしまう、度量の大きさというのか、脇の甘さだ。
 エコキャップ運動も、悪質な詐欺というのとは違う。
 おそらくは、善意が空回りした結果に過ぎないのだと思う。
 だからこそ、この話は薄気味が悪いのだ。
 いまから80年ほど前、われわれをあの愚かな戦争に導いたのは、明確な悪意や、意図された殺意や侵略的野望ではなくて、むしろ空回りした善意や、後戻りのきかなくなった忠誠心が主導する謎の一体感だった。

 そのことを思えば、ささいな行き違いに見えるエコキャップ運動の空回りは、軽く考えて良い出来事ではない。
 われわれは、ゴミみたいなものを集めることを通じて、ひとつになりたいと願っている。
 そして、一人の独立した個人であるよりは、より大きな集合の中のひとつの切片であることを望んでいる。
 なんとも薄気味の悪い心性だと思う。
 もし仮に、入院見舞いに千羽鶴をもらったら、私は、その場で窓の外に放り出す所存だ。
 鶴は群れる生き物である以上に、旅に生きる鳥だ。
 気高く飛び立つ姿こそが尊い。
 飛べない鶴はただの肉だ。
(文・イラスト/小田嶋 隆)

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